直鳥城 (なおとりじょう)
最寄地 佐賀県神埼市千代田町直鳥512 2019.12.9
直鳥城 (なおとりじょう)
最寄地 佐賀県神埼市千代田町直鳥512 2019.12.9
俯瞰図
入口・駐車場
本丸
濠・土橋
本丸東土橋・郭
八橋・郭
直鳥城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 佐賀城の北東約7kmに位置し、南流する城原川の水利を利用した平城であり、直鳥環濠集落クリーク公園として整備、公開されている。
規模は東西約330m、南北約330mの方形で、その中に掘られた濠が縦横に伸び、20以上の郭を隔てている。その中で本丸は最も広く、東西65m南北約90mの長方形である。
公園内は各曲輪を結んで橋が架けられ順路が設けられ見学しやすいようになっている。
【案内】 国道264号線の城原川を渡った西側に「直鳥クリーク公園→」の道路標識があり、間もなく直鳥クリーク公園駐車場がある[マップコード87 389 412*46]。東側に光顕寺(表記番地)がある。
【歴史】 永正年間(1504~21年)犬塚家久により築城されたとされる。
2代城主犬塚家清は、大友宗麟の命により、筑後の諸将と共に筑前侍島の筑紫惟門を攻めたが、家清とその嫡男尚家は宝満岳で戦死した。
3代城主犬塚鎮家は、西犬塚(鎌田江)の所領を相続して、鎌田江城に居住し、大友方として龍造寺氏と対峙した。
元亀元年(1570年)、大友親真を主将とした3万の軍勢が佐賀城を攻めたが、龍造寺氏の家臣鍋島直茂の奇襲戦法「今山の戦い」により大友軍は大敗した。
翌年の春、佐賀城主・龍造寺隆信が鎌田江城を攻め、犬塚鎮家は敗れて筑後に落ち延び、直鳥城に戻ることはなかった。