中道子山城 (ちゅうどうしさんじょう)
最寄地 兵庫県加古川市志方町岡430 2017.9.24
中道子山城 (ちゅうどうしさんじょう)
最寄地 兵庫県加古川市志方町岡430 2017.9.24
登城ルート
登り口・道標
林道横の登り口・毘沙門天
二の丸
城門(櫓門)・石垣
本丸・土塁
本丸・赤松城址碑
中道子山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高220m】
【感想】 標高271.2mの城山頂上にあり、城域は広く約66,000㎡に及ぶ。
本丸跡に「赤松城址」の石碑が建てられ、土塁が残っている。
米倉、二の丸にも土塁が残り、城門の石垣、井戸(2ヶ所)、堀切などよく残り、見処は多い。
【案内】 県道43号線「志方東小学校東」交差点より、東に約700m行くと道標があり、左折し表記番地の先に「城山公園」駐車場が用意されている[24 296 325*58](地図)。
車止めから林道があり、頂上まで1.4kmの標識がある。700mほど林道を行くと、近道の登り口があり、毘沙門天が祀られている(山頂まで600m)(地図)。
頂上に本丸があり南に二の丸、西に三の丸がある。
【歴史】 室町時代初期、赤松円心の4男・赤松氏範(氏則)よって築かれた。
南朝方の氏範は、至徳三年(1386年)に幕府方に攻められ、播州清水で子息ら一族郎党100余名と共に自害し、中道子山城は一時期、廃城となった。
享徳年間(1452~54年)赤松氏の一族・孝橋繁広が再興し、繁景、政頼、秀光、秀時と受け継がれた。
天文十八年(1549年)4代秀光が摂津三宅城で戦死した後、子の秀時は中道子山城を捨て、播磨佐用郡浅瀬山城へ移り、廃城となった。