蘆城城 (あしきじょう)
最寄地 福岡県筑紫野市大字天山234 2020.9.19
蘆城城 (あしきじょう)
最寄地 福岡県筑紫野市大字天山234 2020.9.19
登城ルート
ため池南の標識(左へ)
童男丱女岩(左)
のろし台
頂上の平坦地・看板
東側の段
蘆城城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高200m】
【感想】 宮地岳より南に伸びる尾根に築かれている。北尾根に堀切は見られず、西側斜面に堀道のような遺構が見られ、三角点の東側に段が見られる程度であった。
始皇帝が不老不死の神薬を求めて、徐福率いる船団を向かわせ、十歳くらいの童男童女数十の船が有明海に入り、天山、阿志岐、隈に向かったという。「童男丱女岩」はその伝説の岩とされる。
【案内】 西方寺(表記番地)に駐車できる[マップコード55 217 693*45]。本堂北にある高木神社から「童男丱女岩(どうなんかんじょいわ)」への遊歩道がある(地図)。
東側のため池堤防より北側を通って行くと、尾根先端に着く。
先端は見晴らしがよく筑紫野市の街並みが望め、「童男丱女岩」があり、友好門、四阿が建てられ「のろし台」がある。
そこから尾根伝いに山道を登って行くと堀道があり、「蘆城城の跡」の看板がある山頂に着く。
文化五年(1808年)八月十五日、長崎にイギリス軍艦フェートン号が侵入した事件によりのろし台が設置された。
【歴史】 戦国時代の城といわれ、城主など詳細は不明である。