竹山城 (たけやまじょう)
最寄地 岡山県美作市下町691 2019.4.13
竹山城 (たけやまじょう)
最寄地 岡山県美作市下町691 2019.4.13
登城ルート(緑線は車道)
林道入口・説明板
坊主ヶ丸・フエンス
坊主ヶ丸南西の堀切
西の丸(鉄塔)
城主子孫植樹碑・馬場
本丸切岸
本丸
竹山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m(林道始点より)】
【感想】 美作市下町の標高421mの山頂に築かれており、東端の本丸の西に馬場、西の丸少し離れて坊主ヶ丸と並び、本丸の東に太鼓の丸がある。
テレビ中継局が建てられ、改変されているようだが、本丸切岸や坊主ヶ丸西の堀切などが残っている。城跡の南方の集落に宮本武蔵の生家や墓がある。
【案内】 国道429号線より吉野川西岸を北上すると、表記番地手前の林道入口に説明板が建てられている[マップコード390 114 067*52]。
約1.6kmの舗装された林道を登ってゆくと終点に駐車場がある(馬場跡)[マップコード390 083 688*52]。
東に本丸切岸が残り、本丸の南にテレビ中継局が建てられている。
駐車場の西の無線塔が建っている台地が西の丸と思われる。また西400m付近より西へ尾根を登ってゆくと、坊主ヶ丸と呼ばれる山頂があり、ここに曲輪が残り、北西と南西に堀切が一条づつ残っている(地図)。
宮本武蔵の生家(美作市宮本946)は昭和17年に火災に遭い瓦葺の家屋に建て替えられた。裏(南)に平尾家がある。また分骨された武蔵の墓があり右に父無二斎母お政の墓がある(地図)。
【歴史】 明応二年(1493年)赤松・浦上・宇喜多氏と結んでいた新免伊賀守貞重により築城され、山王山城から移り、約2万石を領したという。城の東西に竹が繁茂していた事から竹山城と名付けられた。
その後、2代宗貞が継ぎ、3代伊賀守宗貫の時、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いで西軍宇喜多秀家に属し、西軍敗戦のため廃城となった。
なお、宮本武蔵の祖父平田将監が初代伊賀守貞重の家老として、また平田無二斎も3代宗貫の剣道指南役として仕えていた。