長浜城 (ながはまじょう) (今浜城) (日本さくら名所100選)
所在地 滋賀県長浜市公園町10‐10 2011.10.11 2016.10.25
長浜城 (ながはまじょう) (今浜城) (日本さくら名所100選)
所在地 滋賀県長浜市公園町10‐10 2011.10.11 2016.10.25
本丸跡・石段・模擬天守
本丸跡・模擬天守
石垣・模擬天守
天守閣跡碑と秀吉公像
城阯碑
長浜城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 琵琶湖を望む公園となり、模擬天守以外では石垣、内堀跡の本丸橋、天守閣跡の碑と秀吉公像が見どころである。
【案内】 県道2号線「港町」交差点より西に200mほど行くと、「豊公園」駐車場[マップコード101 736 656*13]が用意されている。
琵琶湖東岸に面し、望楼型四重五階天守を模した鉄筋コンクリート造の「長浜城歴史博物館」が建てられ、五階の展望台からは長浜の市街や琵琶湖が眼下に広がる。
二の丸跡(地図)に豐公園が造られ、日本さくら名所100選に選ばれ、国民宿舎や野球グランドが設けられている。
【歴史】 天正元年(1573年)に羽柴秀吉が小谷城・浅井長政攻めの軍功で織田信長から浅井氏の旧領を与えられ、当時今浜と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝し長浜に改名し、小谷城の材木、柱等の資材を使用し築城を開始した。
天正三・四年頃完成し秀吉が入城した。天正十年(1582年)六月の本能寺の変後、清州会議で長浜の支配権を得た柴田勝家の甥の勝豊が入城するも、まもなく勝家と対立した秀吉に攻められ落城した。
天正十一年(1583年)賤ヶ岳の戦い後は、山内一豊が6年間在城し、慶長十一年(1606年)内藤信成が駿府より移り、その後子の信正が城主になった。
元和元年(1615年)に廃城になり資材の大半は彦根城の築城に流用された。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したと伝えられる。