根福寺城 (こんぷくじじょう) (野田山城)
所在地 大阪府貝塚市秬谷/大川 2022.3.17
根福寺城 (こんぷくじじょう) (野田山城)
所在地 大阪府貝塚市秬谷/大川 2022.3.17
登城ルート
登り口
2重堀切
東曲輪主郭切岸
東曲輪主郭
大堀切
西曲輪主郭
西側段郭・西曲輪主郭切岸
殿の墓(右端の浮彫の五輪塔 )
根福寺城 西曲輪跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高110m】
【感想】 貝塚市秬谷(きびたに)にある東の標高275mの山頂と西の標高約282m山頂を中心に多くの段郭が配置されている。
東曲輪の東尾根の2重堀切と中間の大堀切は圧巻で、他に多くの段郭など見どころは多い。
【案内】 府道40号線より西に約1.5km行った「大川バス停」南に駐車できる[マップコード10 093 663*75]。少し西に説明板が建てられ、バス停向かいに登り口がある(地図)。バス停南の共同墓地入り口に松浦肥前守のものといわれる浮彫の五輪塔の 「殿の墓」がある(地図)。
城跡へは登り口より、切通しの上を西に行き道なりに登ってゆくと、2重堀切があり、3段の郭を経て帯郭に至り、その北に東曲輪群主郭がある(地図)。
主郭の北に細長い郭があり西に1段がある。西に下ると、大堀切があり、西に行って折り返すと東西に細長い郭があり、その先に西曲輪群主郭がある(地図)。
北に広い2段の郭、西に小郭が2段見られる。
【歴史】 天文四年(1535年)和泉国の守護代・松浦肥前守守(まもる)によって野田山城として築かれたとされる。
後に紀伊国の根来寺領となり根福寺城と呼ばれた。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉は岸和田城に入り、根来寺、雑賀衆との戦いに臨み、結果根福寺城は秀吉の手中に落ちた。