紫波洲崎城 (しはすざきじょう)
最寄地 宮崎県宮崎市折生迫6600−1 2019.3.6
紫波洲崎城 (しはすざきじょう)
最寄地 宮崎県宮崎市折生迫6600−1 2019.3.6
説明板
駐車場・案内板
虎口
仏舎利塔
主郭・休憩施設
灯台
紫波洲崎城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 観光地で有名な青島南方の標高62mの城山に築かれている。L字形の郭が北東へ伸びているが、土塁などの遺構は少ない。
当日は雨で靄っていたが、白浜の洗濯岩や青島漁港など日向灘の絶景が見られる。
【案内】 「宮崎白浜オートキャンプ場」(表記番地)[マップコード843 132 376*48]前より北に登って行くと、城山公園駐車場が用意されている[マップコード843 132 583*04]。車道はすれ違いが困難で注意を要する。
仏舎利塔のある城山公園となり、北東方向にL字形の郭が伸びており、先端に休憩施設、灯台が建てられている。
北西側に下ってゆくと、展望台がある。
【歴史】 戦国時代、伊東氏と島津氏の争奪の舞台となった。
永禄年間(1558~70年)には伊東四十八城の一つに数えられ、川崎上総守が城主であった。
天正五年(1577年)以降は島津氏領となり、宮崎地頭で上井覚兼の父・上井薫兼が在城した。
天正十五年(1587年)の豊臣秀吉の九州平定後は、再び伊東氏領となった。
元和元年(1615年)の一国一城令で廃城となった。