猪掛城 (いのかけじょう) (高橋城・黒掛城) (市の史跡)
所在地 広島県安芸高田市高宮町原田 2022.6.4
猪掛城 (いのかけじょう) (高橋城・黒掛城) (市の史跡)
所在地 広島県安芸高田市高宮町原田 2022.6.4
登城ルート
宍戸崇敬社入り口
南東峠の堀
4郭
主郭・土塁
西側の堀切・竪堀(1条目)
北東の3重堀切
猪掛城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高90m】
【感想】 安芸高田市高宮町原田の標高約364mの山頂に築かれている。
主郭は山頂にあり、西側に土塁、西尾根に5重堀切がよく残っている。
また、南東に2つの郭、北東の尾根に2郭、段郭、3郭が配置され、先端部に3重堀切や竪堀が残っている。
当地には「宍戸城」という地名があり、宍戸氏との関係を示唆している。
【案内】 安芸高田市高宮町原田の「宍戸城集会所」に駐車できる[マップコード244 277 057*83]。
集会所前の道を約140m南に行った宍戸崇敬社から登る(地図)。道が南東尾根に通じており、尾根を登ってゆくと堀切とそれに続く竪堀に着き、右奥に畝状竪堀が見られる。
南東側に2段(5、4郭)あり最高所に主郭がある。主郭は広く西側に土塁、5重堀切(2.3条目は浅い)や竪堀がある。
一方、弓型の北東尾根には2郭がありその先に5段(5段目が3郭)あり、3重堀切とそれに続く竪堀がある。
昭和六十一年(1986年)2月7日、安芸高田市の史跡に指定された。
宍戸崇敬社には宍戸隆忠が祀られている(宍戸氏七代五龍城主元源の次男宍戸隆忠(原田城城主)は本家相続争いに巻き込まれ、天文二年(1533年)二月二十四日24歳で暗殺された)。
【歴史】 南北朝時代に高橋氏によって築かれたと云われる。 高橋氏は石見国本城を本拠とした一族で、その勢力は石見から安芸へも及び、その一族が居城とした。
大永五年(1525年)高橋大九郎統種の代に内訌が起き、その後、高橋氏の配下の佐々部氏の裏切りに乗じて、享禄二年(1529年)五龍城主宍戸氏により攻められ、高橋氏が滅ぶと宍戸氏の所領となった。