越智城 (おちじょう)
最寄地 奈良県高市郡高取町越智271−3 2018.7.11 2018.10.20
越智城 (おちじょう)
最寄地 奈良県高市郡高取町越智271−3 2018.7.11 2018.10.20
登城ルート(緑線は車道)
閑住院から見た登り口
西郭の南西空堀
堀切・西郭
居館跡
東郭北東の堀切
東郭北側の堀切
越智城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 高取町越智にある比高20m余の馬蹄形の城跡で、南西側の山頂には、空堀や堀切がよく残っている。
猛暑と薮蚊が多く東側の郭や中間の居館跡には、回っていない。
2回目の訪問で居館跡、東側の郭に登ってみた。東郭は3本の浅い堀切で区分されている。
鉄塔北側に堀切、北西側に堀切が残っているが、獣除けフエンスが巡らされ移動もままならなかった。
【案内】 県道35号線より東へ行き、左折して川を渡り右に曲がると、越智公民館(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード36 467 283*62]。
北に行った閑住院(出郭)の東から畑の畦を進み竹林の右手から登るとすぐに堀道となり空堀に続いている。
左に登ると折れのある空堀があり、頂上に郭がある。馬蹄形の城跡で東側にも郭や堀切がある。
馬蹄形の山に挟まれ、居館跡があり畑となっている。 東の郭にはルート図のようにフエンスに沿って直登する。
【歴史】 築城年代は定かではないが、土豪越智氏によって築かれたと云われ、詰城として貝吹山城を築き、高取城を支城としていた。
越智氏は十市氏・箸尾氏・筒井氏と並び「大和四家」と呼ばれていた。南北朝時代には大和における南朝方の中心となり、北朝方の筒井氏と対立した。
越智維通の時、「多武峯の戦い」に敗れて衰退したが、維通の子家栄は河内守護・畠山氏の支援により再興し、筒井氏に匹敵する勢力をもった。
織田信長の勢力が大和に及ぶようになると信長に降伏した。