田内城 (たうちじょう) (巌城)
最寄地 鳥取県倉吉市巌城1005 2015.5.16
田内城 (たうちじょう) (巌城)
最寄地 鳥取県倉吉市巌城1005 2015.5.16
登城ルート
入口・城跡碑
登り口
本丸・模擬櫓
2の丸
3の丸
田内城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 県道236号線と県道161号線の「巌城橋西詰」交差点の南30m、「オムロンスイッチアンドデバイス(株)倉吉事業所」(表記番地)の間に、西に入る細い道がある[マップコード189 685 567*84] 。
入口は両側が崖で狭いので、付近に駐車し徒歩が良い。ガードレールの横の入口に「田内城跡・岩阿弥陀」の石碑が建てられている。釈迦堂の前に南無阿弥陀仏と刻まれた岩阿弥陀がある。江戸時代に倉吉の町民が天文十三年の大洪水による死者を供養するために刻んだものと伝えられている。
その西に登り口があり(地図)、比高約40mの仏石山頂上に本丸跡があり、模擬櫓が建てられている。櫓の土台に由来文石板が張り付けられている。北西側に一段下がって、二の丸があり、下段に三の丸がある。空堀、土塁が認められる。
【歴史】 建武四年(1337年)因幡国・伯耆国の守護に任じられた山名時氏が興国年間(1340~46年)の初めに築き、嫡男の師義を配した。
のち伯耆守護となった山名師義は延文年間(1356~61年)に打吹城を築いて守護所を移転させ、田内城は廃城となったと伝えられている。
かつては「見日千軒(みるかせんげ)」と呼ばれた城下町が広がっていたが、天文十三年(1544年)の天神川と子か小鴨川の大洪水によってすべて流出してしまった。これ以後、山名氏とその後にこの地を支配した南条氏によって、城下町の打吹山麓への移転が進められた。