霜降城 (しもふりじょう) (県の史跡)
所在地 山口県宇部市末信 2019.3.8
霜降城 (しもふりじょう) (県の史跡)
所在地 山口県宇部市末信 2019.3.8
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・入口
前城・標柱
本城の空堀
本城・標柱
後城への土橋
後城・標柱
霜降城 本城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m(谷三叉路より)】
【感想】 宇部市末信の標高約250mの山頂に本城が築かれている。南約400mに前城、北東約300mに後城がある。
前城には土橋付の深い堀切があり、本城には土塁付の空堀がよく残っている。後城には広い3段の郭が残っている。
【案内】 国道490号線より県道219号線に入り、西に約1km行と、ゲートのある道路の入口がある[マップコード95 348 773*58](地図)。(開門時間はAM8:30~PM5:30までなので注意が必要)
そこより約2.3km登ってゆくと終点に駐車場が用意されている[マップコード95 316 717*32](地図)。
車止めより西へ約100m行くと、右側に「管理道・霜降岳→」の降り口がある。比高約50m下ると、谷筋を通る三叉路の道に出る(地図)。
真っ直ぐ突っ切って登り、途中の標識を右に折れて登ると、前城に着く(地図)。前城の南に堀切・土橋が残っており、説明板と「霜降城前城跡」の標柱が建てられている。
北に下って土橋を上ると本城がある。本城の南側に空堀、土塁がよく残っている。
本城入口から右(北東)に行き、土橋を行くと後城に着く(地図)。後城は3段の郭の上段に主郭があり、低い土塁が残っている。
昭和四十三年(1968年)7月4日、山口県の史跡に指定された。
【歴史】 長門国厚狭郡の豪族であり最盛期には長門国守護を務めた厚東(ことう)氏が、築城から廃城まで代々の城主であった。
壇ノ浦の戦いで名を上げた7代厚東武光によって治承三年(1179年)頃に築城されたと伝えられる。
後に長門国守護に任じられた厚東氏は周防守護の大内氏と対立するようになり、抗争を繰り返したが、正平十三年/延文三年(1358年)に至り、17代厚東義武は大内弘世の攻撃を支えきれず落城した。
九州に逃れた厚東義武は失地回復の戦いを挑むが、最終的に長門国は大内氏の版図に組み込まれた。
霜降城は大内氏には使用されず放置され、南北朝時代の遺構が現在も残っている。