高松城 (たかまつじょう) (玉藻城 )(たまもじょう) (国の史跡・日本100名城77)
所在地 香川県高松市玉藻町2‐1 2011.10.8 2014.5.16
高松城 (たかまつじょう) (玉藻城 )(たまもじょう) (国の史跡・日本100名城77)
所在地 香川県高松市玉藻町2‐1 2011.10.8 2014.5.16
艮櫓・中堀
旭門・桝形
本丸・披雲閣
月見櫓・水手御門・渡櫓
天守台・内堀・鞘橋
天守台
玉藻城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 日本三大水城(高松・今治・中津城)の一つである。玉藻公園の南東に駐車場が用意されている[マップコード60 636 438*06](地図)。
その前が旭橋・旭門、南に重要文化財の艮(うしとら)櫓があり、中堀と石垣が良く残る。
「旭門」を入ると桝形石垣があり、その西が「桜の馬場」がある。その北に本丸があり「桜御門跡」石垣や重要文化財の「披雲閣」が保存されている。
北に「鹿櫓跡」、重要文化財の「月見櫓・水手御門」が残る。
「水門」を通り内堀を渡ると西に二の丸(地図)があり、廉櫓台、矩櫓跡、文櫓跡が残る。更に南に鞘橋を渡ると本丸で礎石の残る天守台、地久櫓台が残る。
昭和三十年(1955年)3月2日、国の史跡に指定された。同年5月5日、高松市立玉藻公園として一般公開された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(77番)に選定された。
【歴史】 天正十五年(1587年)生駒親正が讃岐国17万6千石の大名に封ぜられ引田城に入城した。
同年、引田城は手狭であったので、聖通寺城に移るが、不便を感じ高松城の築城を開始し、天正十八年(1590年)高松城が完成した。
寛永十七年(1640年)生駒氏4代・高俊が、生駒騒動により出羽国矢島藩(矢島城)1万石に転封となり、寛永十九年(1642年)水戸藩初代藩主・徳川頼房の子の松平頼重が12万石で入封し、城の整備に着手した。
正保元年(1644年)頼重、城内の飲料水確保のため水道を造り、城下の亀井・大井戸・今井戸より水を引き、寛文九年(1669年)小倉城を模した三重五階の天守が完成し、頼重は隠居、隠居所として城の南約2㎞に栗林公園を造築した。
寛文十一年(1671年)松平氏による城の大改修が始まる。延宝元年(1673年)二月、2代藩主となった頼常にも改修が引き継がれた。
明治二年(1869年)版籍奉還により廃城となった。
明治十七年(1884年)老朽化のため天守が破却された。