村雨城 (むらさめじょう) (国の史跡)
所在地 滋賀県甲賀市甲南町新治 2017.2.25
村雨城 (むらさめじょう) (国の史跡)
所在地 滋賀県甲賀市甲南町新治 2017.2.25
登城ルート(赤色が村雨城/青色は寺前城)
入口・標柱
南側空堀
虎口・土橋
主郭・土塁
東側の腰郭
北側空堀
村雨城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高20m】
【感想】 名神高速道路北の比高約20mの丘陵にあり、東側は溜池に接している。
一周巡らされた土塁は、高さも3~5mと高く見応えがある。南側の空堀は底幅が5m以上ある。
【案内】 県道337号線「新冶口」交差点より、北に50mほど行くと右手に登り口があり、入口標柱が建てられている[マップコード453 274 306*02](地図)。
登ってゆくと、堀があり土橋がある。虎口を入ると、約40mの方形郭に土塁が巡らされている。南側は高さ5mほどあり櫓台のように上面は広い。
南側に空堀があり、溜池に接した東側に腰郭、北側に空堀が残っている。北に行くと寺前城がある。
平成二十年(2008年)7月28日、「甲賀郡中惣遺跡群」として、国の史跡に指定されている。寺前城跡・村雨城跡・新宮城跡・新宮支城跡・竹中城跡がある。
【歴史】 戦国時代の永禄年間(1558~70年)頃、織田信長の近江侵攻を背景に、甲賀武士は連合して「甲賀郡中惣(ちゅうそう)」という組織を作り、地域を支配していた。その城館の1つである。
甲賀武士は近江守護六角氏の主力として活躍したが、元亀元年(1570年)野洲川の戦いで敗北し、信長の配下に入った。
その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えた。