門山城 (かどやまじょう)
最寄地 広島県廿日市市大野1494 2021.4.15
門山城 (かどやまじょう)
最寄地 広島県廿日市市大野1494 2021.4.15
登城ルート
旧遊園地の登り口
北側の堀切
三角点・城跡碑・説明板
丸い4ヶ所の柱穴
刀掛けの大岩
門山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高200m】
【感想】 廿日市市大野の標高265.1mの城山に築かれている。
巨石の多い岩山で主郭の東や北に建物の柱穴の残る大岩があり、そこから厳島や廿日市の市街を眼下に望むことができる。
堀切は北尾根にあり、南東に「刀掛け」と呼ばれる巨石や南に「馬のたらい」と呼ばれる長方形の穴のある巨石があり、一所懸命に生きた武士の生活感を感じることができる。
【案内】 県道289号線の「大野インター北」交差点より西へ山陽自動車道を潜り、「大頭神社」(表記番地)前を通って約1km行くと、カーブ左側が広く駐車スペースがある[マップコード103 467 126*33]。
100m程先から左に下って橋を渡った先に登り口がある(地図)。旧「いもせ遊園地」の先から経小屋山の遊歩道があり、迷うことはない。
600m程登ると展望台の大岩があり、その先に浅い堀切が見られる。
さらに300m程行くと、堀切と切通しがあり、西側に廻りロープを伝って登ると主郭に着く。
主郭には三角点があり、城跡碑や説明板が建てられている。南に尾根を100m程行くと、「馬のたらい」の大岩がある。
【歴史】 鎌倉時代末から南北朝時代にかけて厳島神領防衛の必要上、西部からの侵入者に備えて築かれたのではないかと考えられる。
戦国時代、厳島神社の棚守佐伯房顕(ふさあき)の日記に「大野城主弾正少弼(しょうひつ)」の名が載っている。
大野氏は厳島神領衆の有力な一員であり、門山城主で大野郷の土豪でもあった。
大永四年(1524年)五月、友田興藤が尼子、武田両氏と結び大内氏に叛いたとき、友田方であった大野弾正が大内氏と内応し、城に火を放って武田・友田軍を敗走させた。
天文二十三年(1554年)五月、宮内村折敷畑合戦までに、門山城は毛利方吉川元春軍に攻められ落城、大野氏は滅亡した。