置塩城 (おじおじょう) (藤丸城・小塩城) (国の史跡)
最寄地 兵庫県姫路市夢前町宮置971 2014.5.1
置塩城 (おじおじょう) (藤丸城・小塩城) (国の史跡)
最寄地 兵庫県姫路市夢前町宮置971 2014.5.1
登城ルート
登り口・説明板
二の丸南曲輪大石垣
三の丸跡
空堀
二の丸
本丸跡
置塩城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高330m】
【案内・感想】 置塩城は夢前川左岸の標高349mの城山に築かれている。
夢前川東側の市道の表記番地北に駐車場と登山口の標識・看板がある[マップコード24 576 677*40](地図)。
そこから比高約330mの城山頂上まで一~十八丁の里程標が設置されている。
曲輪はY字型に並び南に「南曲輪群」、「二の丸南曲輪」、「二の丸跡」、西に「三の丸跡」と並び、二の丸北から東に「二の丸北曲輪群」、「本丸南曲輪群」、最高所に「本丸跡」がある。茶室跡、台所跡があり、「北曲輪群」「南西曲輪群」各曲輪は土塁、空堀が良く残り、十八丁付近、「二の丸南曲輪」の南、「本丸跡」西などに石垣が残っている。
置塩城の支城として小屋谷城、鞍掛山城、番城山城(置塩城の南800mの山頂)などがある。
平成八年(1996年)3月28日に白旗城跡、感状山城跡と共に「赤松氏城跡」の名称で国の史跡に指定された。
【歴史】 文明元年(1469年)、標高370mの城山に播磨国守護に返り咲いた赤松政則が築城した。
以後、赤松義村、晴政、義祐と引き続き居城した。天正五年(1577年)、五代赤松則房の時、播磨国に侵攻してきた羽柴秀吉(豊臣秀吉)に、ほとんど戦わずに降伏した。
天正八年(1580年)、播磨国を統一した秀吉の城割令によって廃城となり、建物や石垣は解体して姫路城に移された。
なお、現存する姫路城の「との一門」は、この時移築されたものと云われている。
秀吉の命によって、赤松則房は天正十三年(1585年)に阿波国の加島城に1万石で移封された。