筒井城 (つついじょう)
所在地 奈良県大和郡山市筒井町1440 2016.4.24
筒井城 (つついじょう)
所在地 奈良県大和郡山市筒井町1440 2016.4.24
配置図
主郭跡
城趾碑
南側堀跡の蓮根畑
菅田比賣神社
菅田比賣神社東の内堀跡
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道25号線「筒井町西」交差点より県道108号線を北に約380m行き右折、光専寺前を右折して南に行くと、住宅地横の少し広い道路に出る。
道路に面して「筒井城跡」看板と説明板が建てられ、主郭の一部はフエンスで囲われ空き地となっている(地図)。その南に、内堀跡とされる蓮根畑がある。
菅田比賣神社(表記番地)へは約100mで、その先の三叉路は道路の真ん中に社があり、通行困難で道路が狭いため、徒歩が良い。神社東に水堀跡(内堀跡)が南北に伸びて残っている。
「筒井順慶城趾」の石碑はフエンス北の民家横より南西に150mほど行った、かっての虎口に建てられている(地図)。
【歴史】 筒井城が文献に現れるのは15世紀初頭であるが、発掘調査により14世紀中ごろには、すでに主郭を取り囲む幅約6m、深さ約2mの大規模な内堀があったことが判明している。
筒井氏の祖とされるのは筒井順覚で、至徳三年(1386年)の文献にその名が記されている。しかし、康永二年(1343年)の文献にも、筒井氏と思われる武士2名(順慎・順円)の署名があることが、近年の研究で明らかになっている。
即ち、筒井城と筒井氏は、共に14世紀中ごろに歴史の表舞台に現れたことになる。
筒井城最後の城主は、筒井順慶(1549~84年)で、大和に侵攻した松永久秀に打ち勝ち、天正四年(1576年)織田信長によって大和国支配を任じられた。
天正八年(1580年)筒井城は織田信長の命によって破却され、筒井氏は居城を約3.5km北にある郡山城に移した。『大和郡山市教育委員会説明板』より。