八木城 (やぎじょう)
最寄地 京都府南丹市八木町八木内山3-3 2017.1.12
八木城 (やぎじょう)
最寄地 京都府南丹市八木町八木内山3-3 2017.1.12
登城ルート
ジョアン内藤碑
京都縦貫自動道トンネル先の登り口
本丸
本丸北の空堀
空堀下の石垣
二の丸・土塁
八木城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高210m】
【感想】 八木城は八木南西部の標高330mの山頂に位置し京街道(山陰道)を眼下に望む口丹波の要害で、丹波国内では八上城、黒井城とならんで三大城郭の1つとされる。
石垣を探していたが、中々見つからずあきらめ大手虎口より下り初めた時、右側をふと見上げると、空堀の下に石垣があるではないか ‼ 執念の賜物であった。
【案内】 春日神社(表記番地)の西、約100mの道路脇に「ジョアン内藤ゆかりの地」の碑が建てられている。
京都縦貫自動道を潜った左側に登り口がある[マップコード52 828 403*75] (地図)。その前に1台分の駐車スペースがある。
遊歩道には1~8合目の道標があり、迷う事はない。大手虎口より左に標高330m比高約210mの山頂に本丸があり、虎口の土塁が残り、右手に金の間と呼ばれる窪みがある。北(左)に空堀・石垣がある。説明案内図が置かれ、南に2段の曲輪が残っている。
尾根の虎口より、西に行くと土塁を巡らせた曲輪(馬屋?)があり西側に堀切が残っている。さらに西に二の丸(内藤和泉)があり土塁が周囲に残っている。
二の丸の西は切岸で落ちこみ、その先に2段の曲輪が残っている。
【歴史】 丹波国守護細川氏の守護代内藤氏の居城と伝えられ、15~16世紀丹波地方の中心として機能した。
戦国時代、ルイス・フロイス戸親交のあったキリシタン部将内藤如安(じょあん)飛騨守は、豊臣秀吉の朝鮮遠征(文禄・慶長の役)の折り、明側との交渉に当たった。
城は明智光秀の丹波侵攻により没落した。