柳本陣屋 (やなぎもとじんや) (柳本藩邸)
所在地 奈良県天理市柳本町1213 2016.4.24
柳本陣屋 (やなぎもとじんや) (柳本藩邸)
所在地 奈良県天理市柳本町1213 2016.4.24
柳本藩邸航空写真
柳本小学校・説明板
黒塚古墳
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 国道169号線「柳本」交差点より西に行った柳本小学校(表記番地)が柳本藩邸跡で、小学校の北側塀に柳本藩邸の説明板が設置されている[マップコード36 806 648*85](地図)。
西に少し入った柳本公園(黒塚古墳)の堀に面した駐車場が利用できる。
【歴史】 大和国の式上(しきじょう)・山辺の2郡を治めていた織田長益(有楽斎:織田信長の弟)は、元和元年(1615年)その所領を4男長政(戒重藩祖→芝村藩(現桜井市))と5男尚長(ひさなが)に分け与えた。
柳本に入った織田尚長はこの地に藩邸を構えて柳本藩1万石の本拠とし、その後柳本藩は、明治四年(1871年)の廃藩置県までこの地を治めた。
藩邸は文政十三年(1830年)に火災により残らず焼失したが、天保十五年(1844年)に再建された。
その建物の一部は廃藩置県後も柳本小学校として使用されたが、校舎の建て替えに伴い昭和四十一年(1966年)橿原神宮に移築された。移築された建物は、昭和四十二年(1967年)の国の重要文化財「旧織田屋形」に指定され、現在も橿原神宮文華殿として利用されている。
嘉永七年(1854年)に成立した『柳本陣屋絵図』は、城下町柳本の様子を今に伝えている。絵図によると藩邸は、北は黒塚古墳を敷地に取り込み、南は専行院(藩主織田家の菩提寺)までを含む。『天理市説明板』より