矢守城(やもりじょう) (屋守城)
所在地 滋賀県愛知郡愛荘町矢守98 2016.12.23
矢守城(やもりじょう) (屋守城)
所在地 滋賀県愛知郡愛荘町矢守98 2016.12.23
説明板
説明板裏の堀跡
民家の門
北西側の堀跡
矢守城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 東側に小川が流れ、コの字に城跡を囲むように堀跡が見られる平城である。
【案内】 矢守公民館前に駐車でき、左側の説明板が建てられている[マップコード101 012 276*44]。
周囲に堀跡と思われる排水溝があり、東側に小川が流れている。主郭跡の杉立氏の趣ある門がある。
【歴史】 南北朝期から室町時代にかけて目賀田氏や安孫子氏、喜多川氏、杉立氏、栗田氏、狩野氏らの土豪が台頭した。屋守城は、当地の土豪・杉立氏の居館である。
戦国時代、六角氏や京極氏の勢力下で、六角氏あるいは京極氏の味方に付く動静を繰り返した。
浅井氏が湖北に勢力を伸ばすと、永禄三年(1560年)に野良田で合戦が起こり、六角氏を破ったのち、矢守城を攻め杉立氏は浅井氏の勢力下に入った。
近世に至ると、杉立氏は大庄屋としてこの地を統括すると共に、彦根藩から御掃除小頭という役を命じられ、中山道を通行する人々のため、街道掃除を管理・監視してきた。現在もその後裔が居住しておられ、いくつかの遺構が残っている。