古市城 (ふるいちじょう)
所在地 奈良県奈良市古市町268 2016.9.2
古市城 (ふるいちじょう)
所在地 奈良県奈良市古市町268 2016.9.2
東市小学校
グランド南端
城跡碑
堀跡
古市城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 市立東市小学校(表記番地)敷地が本丸跡である[マップコード11 266 156*51] 。
グランド南西角に城址碑が建てられている。堀跡の池が望めるが、その他の遺構は消滅している。
【歴史】 当城を拠点とした古市氏は、1320年代より史料に登場し、室町時代には興福寺大乗院の坊人として有力な存在となった。
古市胤仙(いんせん)は、文安元年(1444年)の興福寺を二分する争乱では、経覚に従って当城から筒井氏と対峙した。
文安四年(1447年)、奈良を追われた経覚を古市に移し、続く古市胤栄(たねさかえ)は応仁の乱に関わるとともに、一族・家臣の統制を強化して権威の回復に務めた。
古市澄胤(ちょういん)の代に全盛を迎えると城内に堀や馬屋、風呂などを設け、連歌や茶の湯が催された。
明応六年(1497年)に筒井勢に敗れて落城し、城は破却された。
同八年(1499年)に細川政元の支援で澄胤が復帰して翌年に城を再建したが、永正元年(1504年)に再び落城した。
翌年さらに再々建され、同五年(1508年)に澄胤が敗死すると後継の公胤は城域の中心を南に移している。
天文十二年(1543年)に筒井順興に敗れた際、城は古市氏によって焼かれた。