豊福城 (とよふくじょう)
最寄地 熊本県宇城市松橋町豊福1316 2014.5.9 2017.5.9
豊福城 (とよふくじょう)
最寄地 熊本県宇城市松橋町豊福1316 2014.5.9 2017.5.9
登城ルート
虎口
2郭・奥に主郭
説明板
主郭
石宮
城跡標柱
空堀・北側切岸
【案内】 国道3号線「松橋町豊福」交差点から南に約300m行った交差点を東に左折し、東に150mほど行くと、「豊福城跡」の標識がある。
北に少し行くと、東西45m南北50mほどの2郭がある[マップコード128 774 353*35](地図)。北に一段高く主郭がある。
主郭は東西50m南北30mほどで、石宮が祀られ、虎口に説明板、南東隅に城跡標柱が建てられている。
南を除く三方に巾10m余の堀が残っている(草で浅く見えるが)。
【歴史】 築城時期は、はっきりした記録はないが、名和長年の子義高が八代郡を領した建武元年(1334年)の直後に、内河彦三郎義真が代官として下向していることから、その時築かれたと考えられる。
豊福城は薩摩街道を抑える要衝にあり、その後、名和、相良両氏によって剥奪・奪還が繰り返された。
弘治三年(1557年)の城主は上村頼堅で兄頼孝(上村城主)、弟稲留長蔵(岡本城主)と共に人吉城主相良義陽に反乱を起こしたが敗退した。
天正十五年(1587年)九州一帯に勢力を伸ばしつつあった島津氏が豊臣秀吉の征討を受け、薩摩に封じ込まれるまで約250年間攻防の中心であった。
その後自然廃城になったと思われる。