飯盛城 (いいもりじょう)
所在地 佐賀県伊万里市山代町久原 2020.3.12
飯盛城 (いいもりじょう)
所在地 佐賀県伊万里市山代町久原 2020.3.12
登城ルート(緑線は車道)
真ん中の道を進む
説明板
本丸跡
2郭
3郭
飯盛城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m(田代池より)】
【感想】 標高345.3mの城山に築かれており、南北に階段状に並んだ3つの主要郭と武者溜りから構成されている。
本丸の西側は崩落したらしく、コンクリートで養生されている。本丸には三角点、説明板、「松浦党山代氏飯盛城跡」の標柱が建てられている。
本丸先端からは伊万里湾の絶景を眼下に望むことが出来る。
【案内】 国道497号線より県道316号線に入り、約5.7km行き、カーブから東に入る[マップコード458 200 042*22]。
東に150m程行くと田代池堤防があり、池を時計回りに通る未舗装道を走ると、「山口佐平之碑」があり、その先に駐車できる[マップコード458 201 335*78]。この道はしっかりしており、ナビにはルート表示されないが目標地点設定に使える。
真ん中の道を南へ行き(地図)、折り返すように登ってゆくと城山に着く。
山口佐平翁は、明治四年(1871年)城山の払い下げを県に申請し、城山を住民の共有地として、当時の燃料であった雑木を自由に採取できるようにして、住民の生活安定化に尽力した。また目代屋敷に寺子屋を開き、子弟の教育に当たった。
【歴史】 松浦党2代の源四郎大夫直(なおす)は初代源久の後を継ぎ、宇野御厨執行(荘園の官職)・古値賀島弁斉使として、平安時代末の久安年間(1145~51年)今福梶谷城から山之寺城館に移り、広大な宇野御厨荘園を治めた時、最初に築いたのが飯盛城と伝えられている。
のち、源直は第6子・源囲(かこう)に山代郷を分与した。以来天正四年(1576年)14代虎王丸貞の時、佐賀の龍造寺隆信に降り、天正十五年(1587年)北方の芦原領に移るまで、約440年間の幕を閉じた。『現地説明板』より。