鶴崎城 (つるさきじょう) (熊本藩鶴崎御茶屋)
所在地 大分県大分市南鶴崎3丁目3−1 2019.3.7
鶴崎城 (つるさきじょう) (熊本藩鶴崎御茶屋)
所在地 大分県大分市南鶴崎3丁目3−1 2019.3.7
鶴崎小学校
鶴崎小学校・城跡碑
鶴崎城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 大分市立鶴崎小学校校地となり遺構は消滅しているが、2000年に行われた小学校の北西にある体育館建設時の発掘調査で堀と石垣遺構が発見されたという。
【案内】 大分市立鶴崎小学校(表記番地)の東側門を入った右側に「鶴崎城跡・熊本藩鶴崎御茶屋跡」の石碑が建てられている[マップコード328 848 223*78] 。
また、南側道路に面して案内板が建てられている。
【歴史】 室町時代後期に、大友義鑑・大友義鎮(宗麟)に仕えた吉岡長増(宗歓)によって築城されたと伝えられている。
天正十四年(1586年)の島津氏の豊後侵攻の際に、長増の子・鑑興の妻であった妙林尼が智謀を用いて籠城を続けたことで有名である。
慶長六年(1601年)肥後熊本藩主となった加藤清正は豊後鶴崎・佐賀関・久住・野津原を所領とした。鶴崎城跡に熊本藩鶴崎御茶屋が置かれ、豊後国内の熊本藩所領の統治にあたった。寛永九年(1632年)加藤氏から替った細川氏にも引き継がれた。