鎌掛城 (かいがけじょう)
所在地 滋賀県蒲生郡日野町鎌掛 2017.1.13 2017.2.3
鎌掛城 (かいがけじょう)
所在地 滋賀県蒲生郡日野町鎌掛 2017.1.13 2017.2.3
登城ルート(緑色は山屋敷)
山屋敷
主郭・土塁
2郭
虎口
井戸
鎌掛城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 南西斜面の屏風岩に行く道にも「山屋敷跡」の標識があるが、途中にコンクリートで固められた砂防ダム群があり、下流の橋をやっと見つけられた。
伝大手道の踏み跡をたどって、北側を時計回りに登ってゆくが、両足がやっと乗るような細い道で、5合目付近で倒木に阻まれ、直登する羽目になった。滑落しそうになり登りたくない山の1つだ。南側へ回り込み尾根を2つ登って主郭の三角点にたどり着くことが出来た。
【案内】 県道182号線横に屏風岩の入口があり[マップコード213 812 819*52] 、県道南に平行した道を約180m行き、橋を渡った所が登り口となる(地図)。
橋を渡って少し行くと左手に、山屋敷の広大な曲輪がある。北側に土塁が残り、南側に桝形のような曲輪がある。山側中央付近に大手道の標識が建てられている。
標高372m比高約150mの山頂に主郭があり、西側に土塁が残っている。北に一段下がって2郭があり、桝形虎口がある。その北に曲輪があり西側に虎口がある。
積雪が少しあり、滑りながら20mほど下ると石垣で巻いた井戸が見事に残っていた。搦手からこの道につながっていると思えるが、積雪のため、元来た西側尾根より下山した。
別ルートとして、県道182号線にある「石楠花ウツデイーハウス」(日野町鎌掛1−22)西の橋[マップコード213 813 850*02]から南に林道を250m程行った橋の点前から搦手の登城路があるらしい(地図)。行ってみたが、標識やマーキングもなく分からなかった。
【歴史】 大永二年(1522年)から翌年にかけて起きた蒲生家同族間の争いには、若き当主秀紀を中心とする500の兵が8ヶ月に及ぶ籠城の末、大永三年(1523年)三月開城した。
直ちに寄せ手蒲生髙郷の援軍佐々木勢によって城は取り壊された。以後、蒲生秀紀は鎌掛城を築いて移り、蒲生髙郷は中野城へ移った。
大永五年(1525年)、秀紀は髙郷により毒殺された。
天正十年(1582年)中野城主・蒲生賢秀が、嫡男の蒲生賦秀(のちに氏郷)に家督を譲り、隠居して山屋敷に入ったという。天正十二年(1584年)四月十七日に死去した。