弓木城 (ゆみのきじょう)
所在地 京都府与謝郡与謝野町弓木1542 2017.5.4
弓木城 (ゆみのきじょう)
所在地 京都府与謝郡与謝野町弓木1542 2017.5.4
水無月神社
帯郭
城跡碑
主郭
東側坂虎口
平坦地と2郭切岸(奥)
弓木城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 帯郭や段郭を周囲に配置し、急な切岸で防御している。
【案内】 町立岩滝小学校(与謝野町岩滝443)と道路を挟んで城山公園駐車場が用意されている[マップコード197 227 509*38]。
北曲輪群跡は岩滝小学校敷地となっており、遺構は見当たらない。
南曲輪群は城山公園となり、水無月神社(表記番地)が建てられている。最高所に細長い主郭があり、南西に曲輪、東に鞍部平坦地、2郭がある。急峻な切岸を備え、東側の土塁に挟まれた坂虎口は雨が降れば登れなさそうなくらい急である。
【歴史】 鎌倉時代末期に稲富氏が城を築き、代々居城とした。その後、2代目直時の時丹後国守護となった一色氏の家臣となった。
戦国時代、一色義道の子一色義定が細川忠興に攻められて建部山城から移った。
翌年から度々細川氏の攻撃を受けた城主稲富祐直は少数の兵力をもってこれを撃退し続けた。天正十年(1582年)六月に起きた本能寺の変後の混乱の最中に、義定が長岡(細川)藤孝の居城宮津城に誘い出されて暗殺されるまで抵抗を続けた。義定の死後、和議で開城したと云われる。