象ヶ森城 (ぞうがもりじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県西条市上市甲1017 2017.12.15
象ヶ森城 (ぞうがもりじょう) (市の史跡)
最寄地 愛媛県西条市上市甲1017 2017.12.15
登城ルート
観念寺・遠景
東端の堀切
東端の段郭
主郭東の堀切
主郭・土塁
主郭西の堀切
主郭西の2郭・土塁
西端の3郭
西端の堀切
象ヶ森城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高110m】
【感想】 大明神川右岸の標高約185mの山頂に築かれている。
最高所の主郭を中心に西に2つの郭、東に3つの段郭が残り、夫々堀切や空堀で区画され、遺構はよく残っている。
【案内】 県道155号線より西に200mほど行った観念寺(表記番地)駐車場が利用できる[マップコード119 365 065*64](地図)。
駐車場横に「観念寺の山門と石垣」「象ヶ森城址」の説明板が建てられている。それによると、高石垣は松山藩4代藩主定直公が郡普請で築造され、観念寺は延応二年の創建で、唐様の竜宮門に似た山門となっている。
開山堂左より登る。すぐ林道に出、左に行くべきところ右に行き、林道が消える所から右の尾根に出、そこから直登した。
東端の尾根に堀切があり、階段状に3つの郭が並び西に堀切がある。その西に配水タンクのある主郭があり、西端に土塁が残っている。
更に空堀で隔て広い2郭があり周囲に土塁がめぐっている。その西に空堀で隔ててやや傾斜した3郭があり、石積みも見られた。西端に堀切が残っている。
昭和五十八年(1983年)7月18日、西条市の史跡に指定された。
【歴史】 築城年代は定かではないが南北朝時代、得能氏の一族・重見通宗によって築かれたと云われる。
戦国時代の城主は河野氏18将の一人櫛部肥後守兼久であった。
天正七年(1579年)新居郡金子城主・金子元宅(もといえ)に不意に攻略され、櫛部父子は防戦かなわず城を捨て河之内村に逃れた。翌天正八年(1580年)討死した。