高瀬要害山城 (たかせようがいさんじょう) (馬谷城)
最寄地 和歌山県西牟婁郡白浜町富田1595−1 2022.5.3
高瀬要害山城 (たかせようがいさんじょう) (馬谷城)
最寄地 和歌山県西牟婁郡白浜町富田1595−1 2022.5.3
登城ルート(緑線は車道)
登り口にある説明板
東側の堀切
3郭・主郭切岸
主郭
西側の2郭
西側の畝状竪堀群
高瀬要害山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 白浜町富田の大辺路南の標高83.5mの山頂に築かれている。
東西に3つの郭が並び東に堀切とそれに続く竪堀がよく残り、西側の2郭は土塁囲みとなっている。2郭下の北西から西側にある 8条ほどの畝状竪堀群が見所となっている。
【案内】 国道42号線「一目坂トンネル」の約120m南を左折、200mほど行くと三叉路となり[マップコード457 483 118*67]、直進し表記番地先を左折して川沿い行き、紀勢自動車道下を過ぎると作業場の建物がありその先に駐車できる(地図)。この道は大辺路と呼ばれている。
登り口には道標、説明板が建てられ、紀勢自動車道下を通って遊歩道が設けられている。
【歴史】 明応三年(1494年)、安宅氏の家臣・吉田春秀が龍松山城主・山本氏との境目の城として築いたといわれる。
城跡の北を熊野参詣道の大辺路が通り、街道を監視する要衝であった。