千原城 (ちはらじょう)
所在地 大阪府泉大津市千原町1丁目3−20 2022.3.17
千原城 (ちはらじょう)
所在地 大阪府泉大津市千原町1丁目3−20 2022.3.17
説明板
東側の用水路
四十九山の五輪塔・城址碑
千原城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 泉大津市千原町1丁目3の住宅地の中に四十九山と呼ばれる塚があり、城址碑と五輪塔(4基)が祀られている。
【案内】 周辺道路狭小で直接は行けそうもない。国道26号線に面したローソンに駐車した[マップコード10 607 549*11]。
「富秋野」交差点を右へ50m、左の路地へ入り100mほど歩き、用水路に沿って歩く。用水路角の20m北東より(地図)、左の路地に入り、民家(表記番地)裏手に城址碑、説明板が建てられ、奥に五輪塔が並んでいる。
【歴史】 玉井氏は北曽根・南曽根・吾孫子村の一部・森村・千原村を領した戦国時代の地侍であり、 玉井壱岐守行家はその最後の当主であった。
行家は管領の地位をめぐり細川晴元と争った細川氏綱に属し、堺で晴元配下の松浦肥前守軍と戦ったが、敗れている。
永禄四年(1561年)当時細川氏綱の居城であった高屋城が畠山氏に奪われ、行家は千原城へ帰った。
天正十六年(1588年)行家が病没した後、玉井家は絶えた。
四十九山は千原城主玉井壱岐守行家と家臣49名が葬られていると伝えられる。