安宅八幡山城 (あたぎはちまんやまじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町矢田/安宅 2022.4.7
安宅八幡山城 (あたぎはちまんやまじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡白浜町矢田/安宅 2022.4.7
縄張り図
津波避難路登り口・説明板
西側横堀(坂虎口より)
2郭
主郭・土塁・次郎太夫定俊を祀る神社
主郭北下段の空堀
2郭3郭間の空堀
安宅八幡山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高60m】
【感想】 日置川左岸の標高83mの尾根南端部に築かれている。主郭は土塁が巡らされ、次郎太夫定俊を祀る神社が建てられている。
北側に2段になった空堀があり特に下段の空堀は深く東側は岩盤を削っており西側は竪堀状に落ちており最大の見どころとなっている。
西側の2郭の土塁は内側に石積みが見られ、その西側下段に横堀がよく残っている。2郭南は空堀を挟んで3郭がある。
【案内】 八幡神社横に説明板が建てられ、津波避難路登り口がある[マップコード457 281 330*03]。
西麓の斜面を斜めに登ってゆくと、2郭に着く。
【歴史】 安宅本城を本拠とした安宅氏によって周辺の勝山城、土井城などと共に築かれたといわれる。
大永六年(1526年)12代安宅実俊が死去し、実俊の子安定丸が幼かったため、実俊の弟定俊が家督を継いだ。
享禄三年(1530年)、定俊は16歳になった安定丸に家督を譲らず、争いが起き一族が戦った。定俊は八幡山城に拠ったが、援軍を得た安定丸に攻められ、定俊以下家臣は自害した。この内訌により主だった家臣を失い、安宅氏は衰退した。