五品嶽城 (ごほんがだけじょう) (五本竹城・世直城) (県の史跡)
所在地 広島県庄原市東城町東城 2019.5.1
五品嶽城 (ごほんがだけじょう) (五本竹城・世直城) (県の史跡)
所在地 広島県庄原市東城町東城 2019.5.1
登城ルート
世直神社
ケヤキが平・土塁
太鼓の平
常の丸
常の丸櫓台の石垣
西尾根2番目の堀切
西尾根4番目の堀切
五品嶽城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高170m】
【感想】 東城町の市街地の西に聳える標高488mの城山に築かれている。
本丸(常の丸)の東に5段の郭が並び南東の山腹に4つの付属郭が配置されている。
井戸が2ヶ所、櫓台に石垣、西尾根に下ると4条の連続堀切がよく残っている。ただ標識は多くあるものの、全体的に草木が多く見づらかった。
【案内】 国道314号線の「東城」交差点の西側の山裾に市営駐車場が用意されている[マップコード326 527 205*24]。
北に200m程行くと歩道橋左に標識があり、世直神社へ登ると、その左手より遊歩道が設けられている。途中に城跡碑が建てられている。
「カヤの平(なる)」には石積井戸があり、説明板が建てられている。上段の「ケヤキが平」には土塁が見られる。
本丸(常の丸)は草が茂りはっきりしないが、井戸、石垣の櫓台が残っている。
昭和六十二年(1987年)3月30日、広島県の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期は明らかでないが、宮氏が築城し、のち西に大富山城を築いて移るまで宮氏の本拠となった。
以来宮氏はこの城を東城、大富山城を西城と呼んだ。宮氏が毛利氏の命で出雲に転出した後、天正十九年(1591年)石見国青杉城から佐波越後守広忠が東城城主として赴任した。 佐波氏は菩提寺を川東の千手寺に合併し、寺領を寄進している。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、毛利氏に従って萩に移った。毛利氏に代わって芸備の太守となった福島正則は、その3家老のひとり長尾隼人正一勝を東城の城主とし、備中・伯耆の国境警備にあたらせた。
長尾氏は帝釈の永明寺に製鉄の鰐口を、川西の法恩寺には大般若経600巻を寄進している。
しかし元和元年(1619年)福島正則も広島城の無断修理を理由に改易され、長尾氏も津山に去って、当城は廃城となった。