四ツ山城 (よつやまじょう)
最寄地 島根県益田市美都町仙道125 2022.11.8
四ツ山城 (よつやまじょう)
最寄地 島根県益田市美都町仙道125 2022.11.8
登城ルート(緑線は車道)
駐車場・説明板
一の岳二の丸
一の岳主郭
井戸
二の岳
三の岳
四の岳
四ツ山城 一の岳(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m(駐車場より)】
【感想】 益田川右岸の標高229.7mの一の岳を主城とし、西の二の岳、三の岳、四の岳とそれぞれ砦を築いた要害である。
一の岳が一番広く、北側に竪堀や堀切などが残っている。また西に下った北の谷に井戸がよく残っている。石だけが地表に出ていたものを昭和52年に再度堀直して復元したという。
【案内】 東仙道小学校(表記番地)より西に行った所に登り口がある[マップコード277 351 226*25]。
また東仙道小学校北側の県道からも北入口があり[マップコード277 351 729*70]、その先の分岐を左に行くと城跡北側の駐車場に着く。
駐車場から南に登ると竪堀や堀切があり二の丸を備えた一の岳に着く。
一の岳は広く南西側に祠や三角点がある。
二の岳に向かう鞍部から北に降りると、小屋掛けされた石積み井戸が残っている。
二の岳は広く北から東にかけて帯郭が残っている(地図)。
三の岳は狭くほとんど岩場で(地図)、四の岳は広く東側に曲輪が残っている(地図)。
【歴史】 鎌倉時代中期、益田氏により築かれた。その後、益田氏から分かれた三隅氏との間で争奪戦が繰り返されたという。結果、三隅氏の城となり、三隅氏の家臣須縣忠朝が城主となった。
元亀元年(1570年)八月二十九日、当時三隅氏領として高城、茶臼山城と共に三隅三城の名を誇った四ツ山城は須縣忠朝の子・忠高が城主であったが、毛利方の熊谷伊豆守・大友豊後守・佐々田十郎盛時らの率いる四千五百の大軍の猛攻を受け、城主須懸備中守忠高は防戦むなしく五百の兵と共に討ち死にした。