矢崎城 (やざきじょう)
最寄地 熊本県宇城市三角町郡浦585 2015.5.7
矢崎城 (やざきじょう)
最寄地 熊本県宇城市三角町郡浦585 2015.5.7
登城ルート(緑線は車道)
標識と入口(左折)
宮地嶽神社・供養碑
矢崎城入口
本丸空堀・土橋
本丸・供養塔・城跡碑
本丸・土塁
矢崎城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道266号線「三角町郡浦」交差点から左折西に280mほど行ったT字路を左折100m行き、「矢崎城主中村惟冬碑入口」の大きな看板の先を左に登るとすぐ宮地嶽神社があり、境内に矢崎城主他の供養碑「追孝供養癸(き)」(平成13年)が建てられている。
神社より南東に80m行き民家の横を南に右折50mに駐車スペースがありその先に入口がある[マップコード128 724 253*41](地図)。道幅は狭く坂道ですれ違いは困難で注意を要する(徒歩を推奨)。
入口より西南西に約100m行き、墓地を過ぎて空堀・土橋を登ると、本丸跡に出る。本丸跡には供養塔と「矢崎城跡」の石碑が建てられている。
標高20m位の半島の先端にあり、広さは東西70m南北40mほどである(草が茂っている)。
【歴史】 築城年代は定かではない。 文明年間から明応年間(1469~1501年)頃には、名和氏の家臣東右衛門が城代で、天文十九年(1550年)から阿蘇氏の家臣中村惟冬が城代であったという。
天正十四年(1586年)島津氏の侵攻で、中村伯耆守惟冬は矢崎城で奮戦の後、討死し、夫人も城の女たちと共に奮戦の末、討死した。
その後は宇土城の支城として加悦三浦が城主になったという。