須木城 (すきじょう) (鶴丸城)
最寄地 宮崎県小林市須木下田412 2014.9.9
須木城 (すきじょう) (鶴丸城)
最寄地 宮崎県小林市須木下田412 2014.9.9
登城ルート(緑線は車道/赤は松尾城本丸/緑は松尾城三ノ丸/紫は荒神城/青は肥田木城)
肥田木城址
荒神城址
荒神城(左)と松尾城間の堀切
松尾城三ノ丸の土塁
松尾城二ノ丸の土塁
松尾城本丸の石垣
須木城 本城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道265線より「すきむらんど」(表記番地)に向かい、「すきむらんど」手前を左に登って約550m行くと、肥田木城址入口があり[マップコード227 835 725*47]、左に肥田木城址がある(地図)。
少し下って東に行くと、北に荒神城址がある(地図)。更に行くと松尾城址がある。須木城跡は肥田木城址・荒神城址・松尾城址(本城)より構成され、城山公園となっている。
肥田木城址と荒神城址は堀切で分けられ、道路となっている堀を通って南に松尾城址があり、駐車場のある三の丸、二の丸、本丸と並んでいる。本丸には石垣、石段、門跡、土塁が残り広い曲輪がある。
【歴史】 築城年数は不明であるが、南朝延元四年(1339年)に肝付兼重が須木城に立て籠もったとの記録があり、長い歴史のある城である。
戦国時代までは伊東氏に属した菊池氏の庶家である米良氏が代々城主を務めていた。
元亀三年(1572年)の「木崎原の戦い」で、城主であった米良重方が討ち取られると、その弟の米良矩重が後を継いだ。
天正二年(1574年)に一時的に島津氏の城になり、すぐさま伊東氏に取り返されたと言われているが詳細は不明である。これは、当時須木城代であった米良重直が島津氏に起請文を提出した記録からそうされている。
天正四年(1576年)八月二十四日、米良矩重が主君への恨みから島津氏に寝返ったことにより「小林城」共々島津氏の城となった。その後は宮原景種が須木地頭及び城主に就任した。
慶長二十年(1615年)の一国一城令により、廃城となった。