幻城(上城)(まぼろしじょう(うわしろ)) (市の史跡)
最寄地 愛媛県西条市小松町南川乙61−6 2018.3.5
幻城(上城)(まぼろしじょう(うわしろ)) (市の史跡)
最寄地 愛媛県西条市小松町南川乙61−6 2018.3.5
登城ルート(緑線は車道)
説明板
峠の四阿・上城登り口
東の郭と土塁
主郭への階段
主郭・土塁
幻城 上城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高280m】
【感想】 小松町新屋敷と南川の境目の標高488.4mの山頂に築かれている。
当日は雨模様で、息を切らして遍路道を登ると四阿の付近で雨が降り出した。四阿で雨宿りをしていると、横峰寺の方から一人の遍路が下りてこられた。
しばらくして雨が止んだので急ぎ上城へ登った。傘を持参しておらず雨が心配で早々に引き上げた為、土塁、帯郭は見られたが、堀切は確認できなかった。
【案内】 香園寺奥の院(表記番地)より南へ、横峰寺へ向かう道の終点に駐車場がある[119 132 325*65](地図)。
駐車場より横峰寺への遍路道を歩き200m先を左へ、九十九折を過ぎ1.1km登ってゆくと四阿があり、「上城→」の道標が建てられている(地図)。
直角に左へ400mほど凸凹の道を登り右へ大きく曲がると城跡入口である。右側に土塁があり、西へ行くと切岸に階段が設けられている。主郭は東西に細長く、北辺と西端に土塁が残っている。南側下段に帯郭が残っている。
昭和四十六年(1971年)11月16日、小松町(現西条市)の史跡に指定された。
【歴史】 幻城は河野一族が支配した。河野通信の子信家が同族河野信時の養子となり岡の庄を領し、岡氏を称した。
信家7代の孫通昌が田滝村に住して幻城代となった。興国三年(1342年)南朝の総大将脇屋義助が国府城で病死した隙に、北朝四国の総大将細川頼春が伊予に攻め込んだ。
川之江城を落し、新居郡に入り大保木天河寺に陣を張り幻城に攻め込んだ。下城を守る岡弾正は兵600を率いて大日寺あたりで合戦となり、敵将香西出雲守と相討ちになり討死した。
上城の大将岡若丸は二陣の将矢野肥前守を討ち取ったが、遂に城に入って自刃した。このとき玉砕した将兵600余人の霊を祀る五輪の塚は千人塚と呼ばれ下城の麓にある。
その後、天文の頃剣山城主黒川肥前守元春が幻城を修復し出城としたが、天正三年(1585年)天正の陣後、廃城となった。『小松町観光協会』説明板より。