荒神山城 (こうじんやまじょう)
最寄地 岡山県津山市荒神山63 2020.3.14
荒神山城 (こうじんやまじょう)
最寄地 岡山県津山市荒神山63 2020.3.14
登城ルート
入口・標識
沢の先から左へ
北1段
北2段
北4段
主郭・城跡標柱
2郭南の枡形虎口
2郭・土塁
荒神山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高140m】
【感想】 津山市荒神山の標高298mの山頂に築かれている。
北側に4段の郭があり 主郭周囲に帯郭が廻り、西側に折れのある土塁を備えた2郭がよく残っている。石垣のある桝形虎口や井戸跡、金蔵の段など見所は多い。
【案内】 県道449号線の表記番地手前に入口道標が建てられている[マップコード153 406 393*80](地図)。道幅が広く民家側の路肩に駐車できる。
また南東200m程の消防団器具庫横に荒神山城略図が建てられている[マップコード153 406 279*08](地図)。
入口から西へ行き、すぐ左へ曲がって民家横を通り、沢の右側を歩く。沢を渡ると、左に登り口がある(地図)。
少し登ると堀道が現れ、迷う事もなく北1段に着く。途中の曲がり角に井戸跡がある。
4段の郭の左側を登ると、主郭に着く。主郭に城跡標柱が建てられ周囲に帯郭が廻っている。
西に行くと、2郭に着き、崩れた石垣の枡形虎口や南下段に井戸があり、2郭西側に折れのある土塁が巡っている。枡形虎口から西に大手道がある。
【歴史】 元亀元年(1570年)宇喜多直家の重臣・花房職秀(もとひで)によって築かれたと云われる。毛利氏の侵攻に対して、美作における宇喜多氏の拠点として荒神山城が築かれた。
花房職秀は後に職之と名を改め、天正二年(1574年)美作における毛利方の岩屋城を攻め落とし、天正七年(1579年)毛利方の神楽尾城を落すなど戦功を挙げた。
しかし、文禄三年(1594年)に主君・宇喜多秀家と対立し死罪を命ぜられ、豊富秀吉の取りなしによって常陸国の佐竹氏に預けられることになり、荒神山城は廃城になった。
職秀は慶長五年(1600年)の関ケ原の戦いの際、徳川家康に召し出され、東軍の先鋒として活躍し、その功により備中高松城に8千石の知行を与えられた。