赤埴城 (あかばねじょう) (赤埴上城)
最寄地 奈良県宇陀市榛原赤埴1260 2016.9.4
赤埴城 (あかばねじょう) (赤埴上城)
最寄地 奈良県宇陀市榛原赤埴1260 2016.9.4
登城ルート
登り口標識
土橋・土塁
主郭・土塁
主郭東の空堀
主郭2郭間の空堀
2郭・墓石
赤埴城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 高城岳へ向かう表記番地の先の、杉林に差し掛かるところに登り口があり標識が建てられ、1台分の駐車スペースがある[マップコード266 317 691*82](地図)。
比高30m標高601.5mの西側斜面を登ると、桝形があり南に2郭、北に主郭がある。主郭の東から南にかけて空堀、土塁が残り土橋がある。2郭には墓石等が安置されている。
【歴史】 南北朝時代、南朝方として活躍した赤埴氏によって築かれた。
その後、赤埴氏は伊勢国司北畠氏に従い、宇陀七人衆の一人に数えられ、文明三年(1471年)の北畠教具(のりとも)の井足山城攻めに戦功をあげている。
天正四年(1576年)に北畠氏が滅亡すると、城主赤埴信安は郡山城主筒井順慶に従った。天正十三年(1585年)に筒井定次(順慶の養子)が伊賀上野城へ転封となり、大和一国は豊臣秀長の所領となり、その配下となった。