周布城 (すふじょう) (鳶巣城) (市の史跡 )
最寄地 島根県浜田市周布町ロ10 2018.5.8
周布城 (すふじょう) (鳶巣城) (市の史跡 )
最寄地 島根県浜田市周布町ロ10 2018.5.8
登城ルート
南側塀横より墓地へ
堀切
主郭南の郭
主郭・櫓台
畝状竪堀
周布城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 周布川右岸の標高82mの鳶巣山に築かれている。主郭を囲むように階段状の広い郭があり、南尾根に堀切、北西斜面に畝状竪堀がよく残っている。
【案内】 聖徳寺(表記番地)本堂左側に縄張図入りの説明板が建てられている。駐車場は工場前の西側にある[マップコード241 063 162*61]。
聖徳寺南側の塀に沿って墓地の最高所に登り左に登っていく。間もなく堀切があり、南側の郭がある。その北に深い堀切があり、北に広い主郭があり中央に櫓台が残っている。北西側に3段の郭があり、下段の郭を下りると、畝状竪堀が残っている。
昭和四十四年(1969年)11月3日、浜田市の史跡に指定された。
【歴史】 築城時期など定かでないが、周布氏は益田氏の流れをくみ、安貞二年(1288年)この地の地頭職になった。また長浜に漂着した朝鮮官船を保護したことから始まった対朝鮮貿易でも知られる。
南北朝時代、延元二年(1337年)南朝方の周布兼宗は三隅兼連と共に長門の賀年城を攻めた。
戦国時代、永禄十二年(1569年)山中幸盛ら尼子再興軍が挙兵すると、14代周布元兼が不在中、従兄周布晴氏が三隅隆繁の誘いもあって毛利氏に反旗を翻した。この反乱軍は吉川元春の二男元氏の軍勢によって鎮圧された。
その後、周布晴氏は鳶巣城へ逃れたが、吉川軍に攻められ戦死した。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで、周布氏15代長次は西軍に付き、毛利氏に従って萩市へ退転し、廃城となった。