大内氏館 (おおうちしやかた)
所在地 山口県山口市大殿大路119 2015.5.14
大内氏館 (おおうちしやかた)
所在地 山口県山口市大殿大路119 2015.5.14
大内氏遺跡碑
龍福寺
池泉庭園・鴻ノ峰
石組井戸
北側の堀跡・復元土塁
大内氏館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 龍福寺(表記番地)敷地となっており、南側に駐車場がある[マップコード93 642 597*88]。
南側山門付近に「史蹟大内氏遺跡館跡」の石碑・説明板が建てられている。本堂東側に池泉庭園があり、公園となり石組井戸などが見られ、北側に、約100mにわたって土塁・空堀が復元されている。
【歴史】 大内氏2代弘世が正平十五年(1360年)頃、それまでの館のあった大内御堀から移り居館を築いた。
大内氏の繁栄とともに“西の京都”山口として栄えたが、弘世の子・大内義弘の頃にはもう手狭になったようで、すぐ北側に築山館を築いた。
大内氏館もその領土の拡大とともに最低5回の増築を繰り返されていることが発掘調査により確認されている。
天文二十年(1551年)に第31代当主大内義隆家臣の陶(すえ)隆房(のち晴賢)の謀反により、大寧寺に追いこまれ自刃し、山口は灰燼に帰した(大寧寺の変)。
この時の大内氏館の状況は不明であるが、変の後は、新たな大内氏の当主となった大内義長が大内氏館に入った。
弘治三年(1557年)に毛利元就が侵攻(防長経略)してくると、大内義長は山口を放棄して且山城(勝山城)へ逃亡した。大内氏館もその役目を終えることとなった。
そして翌年、同地に毛利隆元が大内義隆の菩提を弔うために龍福寺を建立している。