荘ノ尾城 (しょうのおじょう) (シャウノ尾城)
最寄地 鳥取県八頭郡智頭町大字大背1153 2020.5.7
荘ノ尾城 (しょうのおじょう) (シャウノ尾城)
最寄地 鳥取県八頭郡智頭町大字大背1153 2020.5.7
登城ルート
入口・説明板
北東の郭・城柵
標高401m地点の主郭
主郭北側の堀切
北の郭
荘ノ尾城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 智頭町大字大背の標高401mの丘陵に築かれている。
最高所の主郭から北及び北東と南の三方に伸びる尾根に大小合わせて20ヶ所の郭があり、6ヶ所の堀切がよく残っている。
【案内】 県道295号線の表記番地東に案内標識が建てられておりそこに駐車できる[マップコード390 429 830*53](地図)。
南に100m程行くと、入口があり説明板が建てられている。登ってゆくとすぐ、愛宕権現社があり、堀切を経て北東の郭に着き、城柵が建てられている。
南西に行くと堀切があり、最高所に主郭がある。主郭の北側に2段の郭があり、主郭の南に堀切、細長い郭、南端に堀切がある。
【歴史】 14世紀には、この一帯は関東の御家人・東(とう)盛義の所領であったが、元亨元年(1321年)に武蔵国称名寺領に割譲された。
称名寺(横浜市金沢区)は鎌倉幕府の祈願寺として有名だが、かってこの地域に称名寺の荘園が42年間にわたって存続した。
だが、防衛手段を持たない村では、近郊から来襲する「悪党」集団の押領によって、毎年のように年貢米の略奪に悩まされるようになった。
1342年の『称名寺文書』には、「悪党二度にわたって寄せ来たる。百姓は武士を雇い、城を築いて防衛する」の記録が残る。
『鳥取県史』二巻には、「黒尾峠を越え、土師谷に突き当たる防衛拠点にシャウノ尾城を築き、称名寺領を維持しようとした」とあるが、その後、因幡守護・山名時氏の侵略を受けるようになり、寺領は消えていった。『現地説明板』より。
戦国時代には戸板氏が城主となっている。