柏原藩陣屋 (かいばらはんじんや) (国の史跡)
所在地 兵庫県丹波市柏原町柏原683 2018.8.9
柏原藩陣屋 (かいばらはんじんや) (国の史跡)
所在地 兵庫県丹波市柏原町柏原683 2018.8.9
長屋門
柏原藩陣屋跡石碑
御殿
石積井戸・御殿
織田信包公坐像
柏原藩陣屋跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 黒井城へ向かう途中、たまたま通りかかり長屋門と立派な玄関のある御殿を見学できた。北側に御殿跡が平面復元され、標識が建てられている。
【案内】 国道176号線「柏原新町」交差点より北に約400m行くと長屋門が見えてくる。長屋門の向いに織田信包公坐像が建てられている。
長屋門を入ると、特徴的な屋根の玄関を備えた御殿が有料で見学できる。御殿跡は平面復元され、石積井戸が残されている。
北側には旧氷上高等小学校校舎が保存されており、庭園に当地出身の俳人細見綾子の句碑「雉子鳴けり少年の朝少女の朝」が建てられている。
昭和四十六年(1971年)1月6日、国の史跡に指定された。
【歴史】 慶長三年(1598年)織田信長の弟信包(のぶかね)が3万6千石で入った。その後、3代続いたが慶安三年(1650年)嗣子なく断絶した。以後45年間、天領となった。
元禄八年(1695年)信長の次男信雄の孫・宇陀松山藩主信休がお家騒動の咎により領地を半減され2万石で入った。
19年後の正徳三年(1713年)幕府より陣屋を築く事が許された。以後10代にわたり織田氏が治め、明治に至った。
長屋門は正徳四年(1714年)に造られた表門で内部は左側が番所、右側が馬見所と砲庫である。文政元年(1818年)御殿が焼失した時も延焼を免れた、創建時から残る唯一のものである。
御殿は正徳四年、初代信休により築かれたものであったが、文政元年の火災で焼失し、文政三年(1820年)に再建されたものである。
明治維新後に解体され、現在では再建時のおよそ5分の1が現存しているにすぎない。