由良城 (ゆらじょう) (由良成山城・成山砲台)
最寄地 兵庫県洲本市由良3丁目8 2020.2.2
由良城 (ゆらじょう) (由良成山城・成山砲台)
最寄地 兵庫県洲本市由良3丁目8 2020.2.2
登城ルート
毘沙門天
北西上段の空堀
成山大明神
北の郭・神社
南端の台地
由良城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m】
【感想】 淡路島と由良湾を挟んだ標高52mの成山に築かれている。成山は元々、淡路島本島と陸続きであったが、のちに開削された。
明治中期に成山砲台が築かれ、かなり改変されているようだが、北側の成山大明神付近に切岸が見られる。北西下段に空堀を備えた平坦地がある。
【案内】 県道76号線横に「成ヶ島渡船場」(表記番地)があり、南側の港に無料の駐車場がある[マップコード210 143 506*22]。
定期船ではなく申し込めば一人でも随時運行され、2、3分で渡ることが出来る(往復300円)。帰りは電話すれば迎えに来てもらえる(0799-27-0691)。
成ヶ島の桟橋から毘沙門天横を通って西側海岸道路を進むと、三叉路になり右へ登る(地図)。軽トラが登れるコンクリート舗装の道が南側の芝生公園まで通じている。
コンクリート道の北西側のカーブ手前に空堀が見え、井戸のある平坦地がある。
北側に細長い平坦地があり、成山大明神や崩れかけた神社があり、北側に成山砲台の窪地が2ヶ所残っている。
芝生公園の南側にトーチカがある。
【歴史】 慶長十五年(1610年)姫路藩主・池田輝政の3男池田忠雄(ただかつ)が淡路国六万石を与えられたが、父輝政が岩屋城を築いて重臣が淡路を支配していた。
慶長十八年(1613年)池田忠雄に淡路支配を任され、由良城を築いた。
元和元年(1615年)兄である備前国岡山藩主・池田忠継が早世すると、忠雄は岡山藩の家督を継いだ。
大坂の陣の後、淡路国は徳島藩主・蜂須賀至鎮(よししげ)の所領となり、蜂須賀氏は筆頭家老・稲田氏を淡路に派遣した。
しかし、交通の便が悪いなどの理由から寛永八年(1631年)から寛永十二年(1635年)にかけて由良成山城を廃して洲本城の山上の城郭は使わず、麓に「お居館」と呼ばれた堀石垣を備えた居館を設けて本拠とした。
この移転は城下町ごとの大移転であったため俗に「由良引け」と呼ばれている。
明治二十二年(1889年)以降、紀淡海峡を通過する外国船に備え、由良要害の一つ成山砲台が築かれ、城跡は改変された。