今石城 (いまいしじょう) (町の史跡)
最寄地 熊本県菊池郡菊陽町大字津久礼1971 2019.12.9
今石城 (いまいしじょう) (町の史跡)
最寄地 熊本県菊池郡菊陽町大字津久礼1971 2019.12.9
入口
鳥居・説明板
石垣
斜め後方から
今石城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆ 比高20m】
【感想】 南方に白川を望む今石神社背後の比高20m程の台地が城跡とされるが、住宅地となって遺構は消滅している。
【案内】 県道207号線の狭くなる西側隅に駐車できる[マップコード29 680 298*45]。
西に20m程行くと、今石神社参道があり北に進むと、鳥居横に説明板が建てられている(文字が褪せている)(地図)。
石段を登ると今石神社がある。城主石原狩野介の墓は熊本市石原町の住宅地の一画にあるようだ。
昭和五十四年(1979年)2月23日、菊陽町の史跡に指定された。
【歴史】 合志城(竹迫城)南方の防衛の拠点として築かれ、石原狩野介吉利が居城したと云われる。
今石城は、玉岡城(現大津町)や須屋城(現西合志町)等と共に薩摩の島津氏に備えた外城の1つであった。
西側約300m付近には、西方の守りとして、石坂城を置き、更に南方400m白川が大きく湾曲する東北部に梅の木口の砦を設けて南方の守りを固めた。
天正十三年(1585年)九月三日、島津氏は大軍を率いて肥後に侵攻する。今石城の前衛戦は梅の木口の砦で一進一退の激戦を繰り返した。しかし、今石城は落城し、石原狩野介も壮烈な戦死を遂げた。
その後、島津軍は合志城を攻め落とし、合志氏は滅亡した。『現地説明板』より。