福住中定城 (ふくすみなかさだじょう)
最寄地 奈良県天理市福住町6763 2016.4.24
福住中定城 (ふくすみなかさだじょう)
最寄地 奈良県天理市福住町6763 2016.4.24
登城ルート
入口・五大明王社
南東附属曲輪・神社
主郭南の堀切
主郭武者溜
北西の空堀
福住中定城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 国道25号線に面した市立福住公民館(福住町2025)西50mより南に行くと妙成院(表記番地)があり、その先の五大明王社に参拝用駐車場がある[マップコード266 664 687*22]。その南西から石橋を渡り北に登る(地図)。
登ってゆくと、城門跡の堀道に出、堀切左に木道をゆくと神社の建つ南東付属曲輪がある。神社の裏より堀切を経て主郭に至る。主郭は二段になり、南が主郭武者溜で、北西に土塁・櫓台があり、下に空堀がある。
【歴史】 福住中定城は戦国時代、筒井氏に従った福住氏の城郭であった。筒井順慶と松永久秀との抗争時、順慶はこの福住に拠っている。現在の福住中定城は山林となっており、一部後世の改変部分もあるが、遺構の現存状況は良好に残っている。
天理市福住町には福住城が二つあり、福住井之市城が福住城の新城、福住中定城が古城と思われている。
応仁の乱では、福住氏と筒井氏の軍勢が福住城に駐屯した。『大乗院寺社雑事記』には、文明七年(1475年)には福住館、文明十三年(1481年)には福住城と記されている。館から城郭へ変わったのではないかと推察されている。『ウィキペディア』より。