真山城 (しんやまじょう) (新山城)
最寄地 島根県松江市北陵町34 2018.5.11
真山城 (しんやまじょう) (新山城)
最寄地 島根県松江市北陵町34 2018.5.11
登城ルート
登り口・説明板
一騎駆
二の床
一の床
本丸・尼子勝久公之碑
真山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高170m】
【感想】 白鹿城の北約1kmに位置し、標高256.2mの真山頂上に本丸があり南の稜線上に3つの平坦地が間隔を置いて階段状に並んでいる。
本丸背後に回ってみたが、堀切などの防御施設は見当たらなかった。
【案内】 松江市街より北に行った工業団地「テクノアークしまね」の「セコム山陰」(表記番地)西の道路を西に約400m行くと、登り口があり説明板が建てられている[マップコード163 592 692*02](地図)。頂上までの歩行距離は約1100mである。
2合目付近に鉄塔、5合目に相本盛之助・更科姫の墓や一騎駆けの細い尾根がある。
7合目に「三の床」の平坦地、8合目付近に「二の床」、9合目に「一の床」がある。
頂上に本丸があり、中央に「尼子勝久公之碑」が建てられている。
【歴史】 平安末期、平忠度(たいらのただのり)により築城されたと伝わる。
永禄六年(1563年)毛利氏の武将吉川元春が真山に布陣し尼子軍が籠る白鹿城を攻めた。この戦いに尼子軍は敗れ、白鹿城は落城した。
以後、毛利氏は真山城を拠点として、多賀左京亮元信を入城させた。
永禄十二年(1569年)尼子勝久山中鹿介幸盛らは京都で挙兵し、隠岐に渡り、その後島根半島に上陸し、真山城を占拠した。
その後尼子軍は真山城を本拠として広瀬の月山富田城に迫ったが、尼子軍は敗れ、尼子勝久は元亀二年(1571年)真山城を去った。その後毛利氏が城を修理し、家臣を置いた。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦い後に廃止されるまで毛利氏が維持した。