月山日和城 (がっさんひわじょう) (三俣院高城)
所在地 宮崎県都城市高城町大井手2643−ロ 2019.3.6
月山日和城 (がっさんひわじょう) (三俣院高城)
所在地 宮崎県都城市高城町大井手2643−ロ 2019.3.6
説明板
縄張り図
池の城東の空堀
池の城・資料館
内の城・忠霊塔
中の城(左)と内の城間の空堀
中の城・高城神社
堀切・本城(右)
本城
月山日和城 内城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高15m】
【感想】 都城市高城町大井手のシラス台地に築かれ、空堀で隔てられた7つの城(曲輪)から構成されている。道路となった空堀や本来の空堀などよく残っている。
【案内】 高城郷土資料館(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード117 766 610*61]。
「池の城」と空堀の一部に模擬天守・高城郷土資料館が建てられている。その北に「内の城」があり忠霊塔が建てられている。
空堀を挟んで「中の城」があり、高城神社が祀られている。東に防空壕のある本城がある。ほかに真城・樽原・取添の曲輪がある。
【歴史】 元弘年間(1331~34年)肝付兼重により築かれ、兼重本城と云われた。兼重は南朝方に属し北朝方の畠山軍と戦うが、延元四年(1339年)八月落城し、兼重は高山城(こうやまじょう)に退いた。
その後、日向守護職・畠山直顕のものとなり高城、月山日和城と呼ばれた。畠山氏の後、和田氏の居城となり、更に島津氏の領となった。
明応四年(1495年)伊東氏との飫肥・三俣の交換によって伊東氏のものとなった。伊東八外城時代には、ここを本城として、山之口城・松尾城・梶山城・勝岡城・小山城・野々美谷城・下ノ城を支城とした。
天文元年(1532年)以後、島津氏が伊東氏の八外城奪回を図って攻め、天文三年(1534年)城主落合兼佳が北郷氏に降り、城は北郷氏のものとなった。
戦国時代終盤には伊集院氏の領有となり、慶長四年(1599年)庄内の乱ではこの城下で激戦が繰り返された。
乱後は、再び北郷氏のものとなったが、元和元年(1615年)一国一城令で廃城となった。