蓮池城 (はすいけじょう)
最寄地 高知県土佐市蓮池978 − 1 2014.9.13
蓮池城 (はすいけじょう)
最寄地 高知県土佐市蓮池978 − 1 2014.9.13
登城ルート(緑は二の丸)
自由広場(二の丸)
展望広場への階段
展望広場・城趾碑(本丸)
蓮池家綱の社
蓮池城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 高知自動車道「土佐」ICより国道56号線に入り西に600m行った交差点を南にいった土佐市消防署(表記番地)の道路向かいに登り口、駐車場がある(地図)[マップコード181 560 818*50]。
また国道56号線を100mほど西に行った南に「土佐市駐車場」がある。その西40mより南に登り口がある(地図)。
細い道を徒歩にて登ると城跡碑、堀切があり更に行くと比高40mほどの蓮池城跡で、城山公園として整備されている。
本丸跡は展望広場として整備され、階段近くに「蓮池城趾」の石碑が建てられ、四阿、ブランコがある。また西端に蓮池家綱を祀る神社がある。
二の丸跡は中央広場・自由広場となって、桜が多数植えられている。
城跡は土佐市の指定史跡となっている。
【歴史】 嘉応二年(1170年)平氏の家臣・近藤家綱が平氏荘園の守護として蓮池城を築き、蓮池姓を名乗った。
善政により権頭に任じられた後、越知町柴折で刺客の手に倒れ遊行寺に葬られた。八百数年後の昭和五十二年にここに祀られた『石碑・田村忠之撰』。
治承・寿永の乱により家綱は夜須七郎行宗に討たれ、蓮池城周辺一帯は近藤国平に与えられた。
近藤国平の子孫が大平氏を名乗り350年にわたり蓮池城主となった。最盛期には多くの国人を従え数々の支城を持っていた。
大平氏は天文十五年 (1546年 ) に中村城一条氏に破れ蓮池城を失った。
弘治元年(1555年)頃、本山氏が一条氏から奪取した。永禄六年(1563年)に本山氏が朝倉城を失い本拠地の本山に退去し、蓮池城は長宗我部氏の手に落ちた。
長宗我部氏は四国の覇者となるが、豊臣秀吉による四国征伐に破れて土佐一国に減知され、戸次川の戦いで大敗を喫し、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いでは西軍に付き、土佐に生還したが、改易された。
慶長六年(1601年)山内一豊の入国のころ、廃城となった。