瀬戸浦の烽 (せとうらのとぶひ)
所在地 長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦 2020.3.8
瀬戸浦の烽 (せとうらのとぶひ)
所在地 長崎県壱岐市芦辺町瀬戸浦 2020.3.8
少弐公園・駐車場
少弐資時の墓
弘安の役古戦場碑
烽火台
瀬戸浦の烽跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 船匿城の東、玄界灘を望む台地先端部にあり、少弐公園となっている。
少弐資時の墓があり、東に少し行くと、四角形と円形の烽火台が復元されている。
【案内】 芦辺港の東に行くと「少弐公園」駐車場が用意されている [マップコード409 526 052*10]。
少弐資時の墓があり、記念碑や弘安の役瀬戸浦古戦場の説明板が建てられている。
【歴史】 天智天皇二年(663年)唐・新羅連合軍との白村江の戦いで敗れた大和朝廷は、翌年対馬、壱岐、筑紫国に防人と烽(とぶひ:烽火台)を設けた。
弘安四年(1281年)2度目の元軍の侵攻の際、博多攻略の元軍の根拠地となっていた。
鎮西奉行・少弐経資は九州の御家人たちを率いて壱岐の瀬戸浦に攻め寄せ、六月二十九日から七月二日かけて元軍と激突した。
南北2kmに及ぶ狭隘な入り江を有し、西側には少弐氏の居館・船匿城があり、水軍の基地として好条件を備えており、元軍もそれを利用していた。
少弐経資の3男資時は19歳で一軍の将として勇敢に戦ったが遂に戦死した。資時は壱岐守護代であったとも伝えられている。元軍との戦いの戦死者は西側の千人塚に葬られている。