八上城 (やかみじょう) (八上高城) (国の史跡)
最寄地 兵庫県丹波篠山市八上内甲604 2018.8.8
八上城 (やかみじょう) (八上高城) (国の史跡)
最寄地 兵庫県丹波篠山市八上内甲604 2018.8.8
登城ルート
主膳屋敷跡の前田主膳正供養塔
中の壇
三の丸(奥が二の丸)
二の丸(奥が本丸)
本丸の波多野秀治公表忠碑
南東の堀切
八上城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高240m 】
【感想】 篠山城の東南東約3.5kmに位置する、標高462mの高城山に築かれている。山容は目立ち丹波富士とも呼ばれ、西側向いの山に法光寺城がある。
本丸南東に石垣が残り、北西方向に二の丸、三の丸が並び、中腹に3つの細長い曲輪が残っている。また南東尾根に2つの曲輪があり大堀切がよく残っている。
【案内】 国道372号線に平行した通りに春日神社参道がある[マップコード155 825 520*07](地図)。駐車スペースは少ないが、その向いの空き地に駐車出来た。
拝殿手前より右に入り、少し行くと主膳屋敷跡があり、遊歩道脇に「前田主膳正供養塔」が祀られている。遊歩道は階段が設けられ約45分の行程である。
比高約70m登った尾根先端に「鴻の巣」、「下の茶屋丸」があり、「中の壇」「上の茶屋丸」へと続いている。
土橋を過ぎると急斜面となり、延々登ってゆくと「右衛門丸跡」があり、石垣が見られる。
更に登ると、三の丸、二の丸が階段状に並び最高所に本丸がある。本丸南東側に石垣が残り、「波多野秀治公表忠碑」が建てられている。
南東に下ると、左側に土塁を伴った「蔵屋敷」があり下段に「池東番所」がある。その先に堀切とそれに続く竪堀がある。
平成十七年(2005年)3月2日、国の史跡に指定された。
【歴史】 波多野稙通(元清)は応仁の乱にて戦功をあげて永正年間(1504~21年)に多紀郡郡代となり、15世紀後半に高城山南西の尾根先端部に蕪丸城(奥谷城)を築き奥谷に城下町を置いた。
16世紀前半には山頂部に八上城を築き、蕪丸城も支城として改修された。
弘治三年(1557年)に一度松永久秀によって城を奪われたものの、永禄九年(1566年)に波多野秀治が奪還した。
法光寺城は、抗争に先立ち八上城および城下の防衛力増強の目的で支城として築城された。その後、城下は中心部を奥谷から街道沿いにあった八上に移した。
天正七年(1579年)に織田信長の命を受けた明智光秀による兵糧攻めにより六月に落城し、秀治は降伏し、同年六月に織田信長の命により磔にされ、波多野氏は滅亡した。
慶長七年(1602年)、前田主膳正茂勝(五奉行の前田玄以の子)が八上5万石を領して入城した。
慶長十三年(1608年)に茂勝が改易され、慶長十四年(1609年)松平康重が八上城に入り、同時に篠山城を築いて移ったため、廃城となった。