篠山城 (ささやまじょう) (桐ヶ城) (国の史跡・日本100名城57)
所在地 兵庫県丹波篠山市北新町2‐3 2012.5.9 2018.8.10
篠山城 (ささやまじょう) (桐ヶ城) (国の史跡・日本100名城57)
所在地 兵庫県丹波篠山市北新町2‐3 2012.5.9 2018.8.10
東馬出(南東側)
内堀・ニの丸石垣
内堀・石垣
表門石垣
二の丸大書院
本丸跡・天守台
篠山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 回の字の二重の堀が残り、堀外一辺400mの外堀の中に三の丸があり、北西に「三の丸西駐車場」(有料200円)が用意されている[マップコード155 851 580*46](地図)。
三の丸の東側は篠山幼稚園、篠山小学校の敷地であり、西半分・南は広場などとなっている。内堀には犬走りのある石垣が築かれている。
内堀の土橋を登ると、表門石垣がよく残り、鉄門(くろがねもん)跡の虎口に冠木門があり、入場券(大人400円/高校・大学生200円/小・中学生100円)を求めて、入ると建物跡が平面復元され、明治四年廃城令を免れ保存された二の丸大書院は昭和十九年(1944年)に失火により焼失し、平成十二年(2000年)に復元されている。
本丸・二の丸は石塁で囲われ南東隅に天守台がある。幕府の指示で天守閣は建てられず二間四方の単層櫓が建てられていた。
天守台から東南東3㎞に比高230mの高城山(八上城跡)の美しい姿が望める。天守台の北に青山神社がある。
「東馬出」(地図)と「南馬出」(地図)が残っており、北馬出部分は駐車場、緑地(地図)となっている。
昭和三十一年(1956年)12月28日、国の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(57番)に選定された。
【歴史】 慶長十四年(1609年)徳川家康は、松平康重を常陸国笠間城から丹波国篠山藩八上城に移し、さらに新城の築城を命じた。
これは、山陰道の要衝である丹波篠山盆地に城を築き、西国諸大名の抑えとする目的であったとされる。篠山盆地中心部の丘陵に定め、藤堂高虎が縄張を行い、普請総奉行を池田輝政が務め、15ヶ国20の大名の助役による天下普請により6ヶ月で完成した。
明和三年(1766年)、藩校「振徳堂」を建設された。以後、松平家八代、青山家六代の居城として続き、明治維新を迎えた。
明治六年(1873年)から城郭の建造物は取り壊され始める。大書院は取り壊しに多くの費用が必要な事や旧藩士の安藤直紀の働きかけで保存される事になった。