甑山城 (こしきやまじょう)
所在地 鳥取県鳥取市国府町町屋/美歎 2020.5.5
甑山城 (こしきやまじょう)
所在地 鳥取県鳥取市国府町町屋/美歎 2020.5.5
登城ルート
南麓の説明板・遠景
尾根の登り口
北側の堀切
土塁・溝
主郭の四阿
甑山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高80m】
【感想】 袋川右岸の標高110mの甑山に築かれている。遺構は少ないが、北尾根に浅い堀切が残り、北側に段郭がある。四阿の横に土塁付の溝が見られる。
【案内】 県道31号線より鳥取市国府町町屋の団地を抜けた所の墓参用駐車場が利用できる[マップコード125 498 589*27]。南麓の交差点に説明板が建てられている[マップコード125 498 291*31](地図)。
墓地の左側の道を進み、墓地先を右へ行くと「中国自然歩道」の案内図がある。そこから北に歩き切通しを抜けた所に甑山への登り口がある(地図)。
そこから展望台まで400m程の遊歩道が設けられており、水道施設先に笹の多い堀切がある。
【歴史】 天正元年(1573年)主家尼子氏の再興を願い、山中鹿之助幸盛がそれまでの桐山城から甑山城に移り、立て籠もった。
鳥取城代・武田高信は、これしきの城と300騎で攻め寄せたが、幸盛の奇策に遇って敗走し、鳥取城明け渡しを招いた「たのも崩れ」の古戦場として有名である。